告諭を味わう③ 世界は汚い?美しい?

 人間は矛盾と不安に満ちた世界に生きています。

平和に心安らぐ一方で、混乱と争いのニュースに心痛め。富める時の安心感と、乏しい時の焦燥感、格差に社会が分かたれていく不安感。その中でどう生きていけばいいか答えが出ないもどかしさを抱えています。

一方で、日常に目を向ければ、仕事、人間関係、子育て、親との付き合い方など、その中に相対する感情を抱えています。

仕事に自分の居場所を獲得し、人と笑い合い、我が子を愛おしく思い、親の愛に感謝し、喜びを感じ、光輝く日々もあるでしょう

しかし、定年退職などで仕事を辞めれば、自分が社会に必要とされているのか自問自答し、友との確執や別れも経験しますし、子は親を離れ、親との関係に悩み死別を経験し、儚い自らの命に向かい合い、曇天の空の下に生きる日々もあるでしょう。

この世界は美しく見える時もあれば、そうでない時もあります。


「私には、この世界が醜く汚れているようにしか見えません。」

お釈迦様の弟子の1人、舎利弗がお釈迦様に告白しました。

お釈迦様の側にいた螺髻梵王が答えました。

「物事に上下をつける世界観に生き、仏の価値観で生きていないから、あなたには世界が醜く汚れて見えるのです。舎利弗よ、この世界のあらゆる存在の価値は、比較を超えています。この比較を超えているということが、清く美しいということです。仏の世界観に生きれば、その目には、この世界は清く美しく映るのです。」と

この会話を聞いたお釈迦様は、足の指で地面を押しました。すると、またたく間に、世界は光り輝く宝石で美しく飾られました。

(『維摩経』「仏国品」)

ここで「仏の価値観」と訳しました言葉は、原文では「仏慧」です。

仏慧は仏の智慧、般若波羅蜜ともいいます。お釈迦様に悟りをもたらした智慧です。知識や分析力や頭の良さはありません。直感的なものです。ものごとの真実の姿を明らかに知る智慧です。

その智慧とは「空」を知ること。世界を「空」という世界観で見ることです。



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