告諭を味わう⑧ 我と大地有情と同時に成道す

 「我と大地有情と同時に成道す」

これは、お釈迦様が暁の明星を見て覚りを得た時の言葉です。

道元禅師も瑩山禅師も著作に引用しており、短い一文ですが、非常に重要な意味を持っています。


「私とこの大地の全ての生命が、同時に道を明らかにした。」

「有情」とは、生命あるものという意味ですが、道元禅師特有の解釈方法で理解すれば、有情があれば無情もあるという論理になりますので、ここには、生物無生物問わず全ての存在が含まれています。

また、同じく「同時」にも、時間的制限がありません。今始初めて、いつから、などではなく、最初からそうだったということです。

道というのは真理、あらゆるものは人間の思いを超えて、縁によって成り立っていることです。

 この世界は、成り立ち自体が人間の思惑を超えたものです。

思惑とは、思いの枠とも言えます。人は、それぞれが人生で培ってきた経験から、物ごとに自分だけが理解する特徴と価値を付けて、自他を区別するための枠を心の中に作ります。

ですが、縁は、そうした枠を超えたところで働きます。

縁によってあらゆる物の姿、形、色、大きさ、匂いなどの特徴が作られます。特徴の積み重ねで、私たちが私と認識している自分や、他の存在ができます。

特徴の組み合わせの種類は無限です。やり直しもききません。コピ-もできません。人の思い通りにはいきません。ですから、全ての存在は、唯一の物です。

唯一ということは、絶対ということです。

絶対ということは、比較ができないということです。

対立のしようがないことです。

誰もが、あらゆる存在が、対立や比較を超えた絶対のいのち(仏のいのち)を生きています。


 「我と大地有情と同時に成道す」

「私を含めたこの天地いっぱいに満ちている全ての存在は、最初から、かけがえのない仏のいのちを生きていたのだ。」

というお釈迦様の気付きです。

一方、気づいたということは、今まで気づいていなかったことに気付いたということです。

ですから、お釈迦様は同時に、

「私以外は、みんな最初から知っていたのだ。私だけが、気付いなかったのだ。」と気付いたのです。

「人に生きづらさを感じさせ、悩ませ苦しませる自他の対立は、自分だけが抱えていたものだった。最初から苦しむ理由はなかったのだ。」とも言えます。

これは、これまでの人生に対する反省とも言えます。

人は、心震えるような教えに出会った時、進むべき道が見えた、という喜びを得る一方、「これまで自分は何をやってきたのか。」という反省を感じるものです。

ですが、これは、自分の人生を否定し捨て去ることを意味するのではありません。

今こうして生き方がわかったのは、これまでの迷いの時間があったからであり、その時間は決して消去するべきものではなく、それもまた、自分が生きるほか無い人生として大切にするべきものである、と理解し、迷いに感謝の念すら起きてくる、そのような反省です。

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