告諭を味わう① 宗教の説く「心の安らぎと平和な世界」
今、世界は多くの問題や課題を抱え、私たちは苦しみや悩みの多い社会を生きています。その中で人びとが宗教に求めるものは、心の安らぎと平和な世界です。
今年の告諭について、私なりに考えて見たいと思います。
全体で4段に分かれています。これを起承転結と見れば、起で問題提起して結で結論を表しています。そう見た場合、「人々が宗教に求めるものは心の安らぎと平和な世界であり、それを実現するのは正しい信仰の生活である」というが告諭の大意ということになります。
過去から現在まで、数多くの争いがこの世界には起きてきました。その根底には、自分と他者を対立させる人間の心と欲があります。
人は、自分と他者、あるいは自分が属するグループと他のグループを異質なものとして対立させ、優劣を付けます。その上で、足りないものを手に入れようとする欲望のコントロールを忘れると、争いが生じます。
身近な例では、子ども同士のおもちゃの取り合いですが、スケールが大きくなると戦争となります。
対立の要素としては、食料、資源など物的なもの、民族、歴史認識そして宗教といった文化的なものがあります。
対立の要素としては、食料、資源など物的なもの、民族、歴史認識そして宗教といった文化的なものがあります。
ここに宗教が入ることは、宗教者としては心が痛みますが、受け止めなければなりません。
しかしながら、本来宗教は、隣人を尊重する精神と、欲望の暴走を抑える教えを説いていきました。
そこで、宗教者として反省の意味を込めて、告諭を噛み締めながら、宗教の説く「心の安らぎと平和な世界」そして「信仰生活」について考えてみたいと思います。
ところで、人は自分と他人を分けるからこそ、自分自身を1人の人間として認識できますし、他者へ愛情を感じ、助け合うことができます。また、欲は、社会を発展させようとする原動力となりますし、人生をいきいきと生きようとするためには必要なものであることも、また事実です。
宗教は、人間が生まれてから死ぬまでの苦しみと救いを説きます。
自他を対立させ比較することで生じる苦しみと、欲望に振り回されれることで生じる苦しみ。
自他の関係を正しく認識することで生じる救いと、欲望の支配から免れることで得られる救い。
自他の関係を正しく認識することで生じる救いと、欲望の支配から免れることで得られる救い。
たった一度の限り有る人生を救いの中で生きるにはどうすればいいのか、それを日常の実生活を通して体現するのが宗教です。

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