雑華荘厳~曼荼羅寺の藤まつりに思う

 

先日、愛知県江南市にあります曼荼羅寺公園の藤まつりに出かけました。まつりという名の通り、たくさんの屋台が立ち並び、イベントも行われ、大勢の方々が訪れ楽しむ地域を代表するフェスティバルです。園内には広さ4,700㎡、最長75mの藤棚が常設され、紫、白、朱色も色とりどり、花房の容姿も様々、あるいは可憐、あるいは力強い藤がお客の目を楽しませていました。

 ふと藤棚の足元に目を配りますと、ハルジオン、オオバコ、シロツメクサなどのいわゆる「雑草」が地面を覆っていました。このような花園であれば、「雑草」は取るものだという先入観で不思議に思っていました。

 藤棚の囲いの前にある案内板に気づきました。

「藤の生育を保護するために草を取っていません」そのような文章が書いてありました。

 調べてみますと、むき出しの土では、土壌が流出し栄養が失われ、保水機能も低下するので、あえて草を生やす園芸手法もあるそうです。また、土壌の微生物や動植物の生態環境を保護し、生態系全体への影響を低下させる効果もあるようです。

 お寺の境内地に生える「雑草」と格闘する日常を送っている私には、思いの外にあった理由でした。

ところで、「雑草」には、「人間の手が加わった場所に発生する目的以外の植物」という定義もあるそうです。田畑や花壇、果樹園や路傍や駐車場などに生える、人間にとっては邪魔な植物です。ですが、人間にとってはというのが重要で、植物はというと、そうした人間の思惑を超えたところで精一杯生きています。

 藤棚の草花も、「雑草」というフィルターを通さなければ、可愛らしい花を咲かせて私の目を楽しませますし、地に這うように広がる葉は、太陽の光を和らげ、地表の水分の蒸発を防ぎ、虫や小動物の隠れ家となり、あるいは餌となって生命を育みます。この場所を一つの舞台とすれば、それぞれが自分しか演じられない役を演じ、曼陀羅寺公園を作り上げています。

  「雑華荘厳」という言葉が華厳経にあります。華も木も草も動物も虫も魚も鳥も人も山も雲も石ころも、あらゆる存在が、それぞれ他に変えられないかけがえのない生命を持ち、世界を作り上げています。それぞれがそれぞれの役をいただき、世界という舞台で主役を演じています。その時、舞台は美しく飾られ、演者達の演技に観客は心を動かされます。

しかし、私たちはどうしても自分と他人を比較し、社会の中で立場の上下を作り、自分しか演じられない役を自信をもって演じることができません。その時、世界という舞台は輝きを失い、演者は舞台に居場所を見失います。

疲れましたら、足元に広がる、生命に荘厳された世界を見てみましょう。そこに生きる小さな生命たちに目を配りましょう。小さく大きな舞台で精一杯役を演じている姿に、少しでも何か感じることがありましたら、前へ進んでみましょう。

 「野に咲く花で世界をかざる」。これが恵林寺ののキャッチフレーズです。


コメント

このブログの人気の投稿

告諭を味わう⑧ 我と大地有情と同時に成道す

だるま様と御袈裟と木綿の話

告諭を味わう③ 世界は汚い?美しい?